物忘れ
老化を意識し始めた最初は、『物忘れ』だった。
久しぶり出会った知人の名前が、すぐには思い出せない。
友との会話に、「あれ」「それ」「あの人」「あそこ」などが増える。
簡単な漢字を忘れていて、辞書で調べる事が増える。
……… まあ、この段階では、特に不自由は感じなかった。
同年代の友達が同じ様な状況で、固有名詞抜きでも話は通じていた。
その内に、少し前の自分の行動を、忘れるようになった。
金銭出納帳や食事記録など、直後に書いておかないと、完全な記録が難しい。
予定や約束なども、メモしておかないと、細かい内容を忘れてしまっている。
メモっても、メモの置き場所を忘れたり、メモった事を忘れていたりする。
物を何気なく置いて、置いたその場所を忘れ、探し回る。
用があって台所に行き、何の用で来たかを忘れて、立ち尽くす。
コンビニに行き、何を買いに来たか忘れて、何も買わず家に帰る。
調べ物をしたくて、本を開いたのに、何を調べるつもりだったか解らない。
前日に買った本を、また買って帰る。
…………事態は、徐々に、笑い事では済まない状況に、進んでゆく。
家の鍵、財布、キャッシュカード、通帳、現金、携帯電話、、、
こうした物が、在るべきはずの場所に見つからない事が、時々起こる。
後で見つかった事もあるし、紛失してしまった事もある。
いずれにしても、必要な時、見つからなければ、それなりの措置が必要で、
その代償は大きかった。
……………これは、まずい。
これでは、『呆け老人への道をまっしぐら』ではないか?
何か、対策を講じなくては!
そこで、生活習慣を見直し、物の置き場所を決め直し、意識的に習慣化を図った。
( 小さな物は、使用する場所の壁やドアなどにぶら下げ、目に付くようにした。)
………………それでも、不測の事態が生じる。
買い物に行こうとして、鍵や財布が定位置にない、というような事がある。
数時間前か、前日か、少し前の自分の行動を忘れて、思い出せないのだ。
まあ、あれこれ、試行錯誤を繰り返して、、、、
ふと、以前にも記憶力が減退した時期があった事を、思い出した。
幼児期には、訳も分からぬままに何でも丸暗記できていた。
それが、でき難くなったのは、小学校高学年から中学校にかけて、、、。
あの時は、語呂合わせやコジツケ、憶えるための工夫をイロイロした。
それらの工夫より、内容を深く理解する事が、暗記には一番役に立った。
記憶力の減退を補ったのは、理解力と思考力だった、と思う。
今回の記憶力の減退は、成長期のそれとは大きく異なる。
古い事は克明に覚えているのに、つい最近の自分の行動を忘れてしまうのだ。
言ってみれば、増え続けた記憶の総量が容量の限界に近くなっているみたいな……。
そうだとすれば、今回の記憶力の衰えは、推理力で補えるのではないか。
ふと、そう思った。
自分の性癖については熟知している。
行動を思い出すのではなく、取りそうな行動を推理してみるのはどうか。
いずれにしても、体力の衰えも、記憶力の衰えも、何もしなければ進むのだ。
老化に対する対策を考えるのも、けっこう楽しい事のような気がした。。