老年期の暮らし

独り暮らし老女 yachippe の日常生活

今夜も、ひとりカラオケ

玄関ドア以外が全て二重サッシになっている我家、当然防音効果は抜群。

外の音が聞こえないという事は、中の音も外に漏れないという事でもある。

夜な夜な、大声を張り上げていても、どこからも苦情はこない。

「ひとりカラオケ」と称して、ネット画面の歌手に合わせて、歌う。 

これが、結構、楽しい。

 古い歌など、歌詞を忘れていても、歌詞付きの物も多いから大丈夫だ。

子供の頃覚えた歌は、思い違いがあったりして、新しい発見もある。

観客を意識する事がないので、気楽だ。

マイクは無いけれど、場を長時間独占できる。

同じフレーズを、ちゃんと覚えるまで繰り返すのも自由だ。

韓国ドラマの主題歌など、新たに覚えるのも、なかなか楽しい。

 

事の発端は、数年前に遡る。

 退職後しばらくして、声が枯れた事があった。

仕事も家族もいないのだから、読書とネットを思いっきり楽しんでいた。

それに、手芸とか、、木工とか、、紙工作とか、、スケッチとか、、

、元来、独り作業に熱中する事が好きなのだ。

久々に電話のベルが鳴り、それに出たところ、声がうまく出なかった。

その時電話にどう対応したか、もう忘れてしまったが、、ショックだった。

 

仕事もなく家族もいない生活では、会話の必要性がほとんどない。

誰とも一言も話さないままで、1日が始まり1日が終る。

・・・・   そうか、声帯も、使わなければ機能が低下するのか?

・・・・    じゃあ、声を出す練習をすればいいんだ。 

そう思って始めたのが、この「ひとりカラオケ」だった。

       始めてみて、驚いた。

声量・音域、共に、ひどい状態だった。

1オクターブどころか、その半分も出ない。

これが人間の出す声か? と思いながら、ともかく始めた。

誰も聞いていないのだから、人に心配される気づかいは要らない。

ドレミ、ドレミ、ドレミ、ドレミ、、、、

音階なんて代物ではなかった、と覚えているが、

声のレベルが、どんな物だったか、、、よく覚えていない。

 

中学生の頃、口笛の練習をした事があった。

同級生の男の子達が口笛を吹くのに刺激されて、人知れず練習した。

始めは、ヒュウという音さえ出なかった。

とにかく、口を口笛の形にして、息を吹き出した。

朝から夜まで、暇さえあれば、そうしていた。

そして、、、

高校生になった頃には、口笛で曲が吹ける程になっていた。

    指で、パチッという音を出す事も、、、、同じように、練習した。

ともかく、私には、思いつくとすぐ始めてしまう癖があるのだ。

 

そして、この「ひとりカラオケ」の作戦は見事成功した。

日々声量が増し、音域も広がった。

だが、毎晩毎晩歌っているのに、歌のレベルは、並よりずっと低いままだ。

理由は、明白だ。

私の能力も、私の願望も、共に、その程度でしかないからだ。

下手でも何でも、自分が楽しければそれでいい。

 

そして今夜も、「ひとりカラオケ」で、夜が更ける……  よ、て、い。

後期高齢者 になって

昨年9月下旬、75歳になった。

この日から、気を入れてブログを書く予定だった。

ところが、誕生日の少し前から、体調の悪化が続いた。

 

風邪気味 ー 咳や痰が出る、だるい。やたら眠い。

  脚  ー  膝に力を入れ難い。階段の昇り降りが苦痛。

       ⇨ 駅前に住んでいるので、エレベーター・エスカレーターの利用で、解決。

 腰  ー  自分の動作が年寄りじみている。(無意識に、腰を庇った動きだ。)

      ⇨  腰の負担になる様な行動を避け、手抜き家事・横着家事でしのぐ。

鼻  ー  匂いをあまり感じない。家で一人でいる分には、不便も不快感もない。

      ⇨  外では、自分の匂いが気になり、人の言動に過敏反応。結果、原則蟄居。

 耳   ー   会合や講演会で、 少し離れたところにいる人の声が聞き取りにくい。

       ⇨  会合には参加しない。支障がない限り、聞こえたふりをして、誤魔化す。

 目  ー  長時間本を読んでいると、途中で字が霞んで見え始め、眠くなる。

            ネットの直後、室内を見回すと、歪んで見える。

 

脚・腰 ・鼻・耳・目 と、順調に老化が進んでいるようで、気が滅入った。

特に、目は、自信があっただけに、ショックだった。

今まで裸眼のままで、何でも見えていた。

長時間ぶっ続けで読んでいても、それまでは、別にどうって事はなかった。

本を読んでいる最中に眠くなるなんて、、、。

あれこれあって、寝ている事が多くなった。

 

そんなある日、駅前のコンビニで、ある本と出会った。

その本には、こう書いてあった。

「パソコンを使う仕事に従事している人は、

一時間に一度目を休ませ、蒸しタオルなどで目を温めた方が良い。」

 

ほとんど毎日、ぶっ続けで、ネットと本にはまり込んでいた私、

時には寝食を忘れて熱中していた。

ホント、馬鹿だよね〜〜、ワタシ

蒸しタオルまでしなくても、時々目を休ませだけで、事態は好転した。

 

たぶん、身体機能の多くは、適度に鍛える事と適度な休養で回復する。

そう考え、どんな作業も、軽い疲労感を感じた時点で、ひと休みする事にした。

すると、どんどん体調が、回復した。

 

75歳というのは、無理が利かなくなる年齢かも知れない、と思う。

膝の痛み?

今朝目覚めた時、膝に軽い痛みを感じた。

 
半年ほど前、エレベーター点検中に階段を降りた際、足を挫いた。
激しい痛みと共に、暫くそこに座り込んでしまった。
急激な体重の増加が、原因だろうと判断して、病院には行かなかった。
以来、減量に努め、膝によけいな負担をかけないように注意してきた。
やっと、膝の痛みがなくなり、そろそろ膝を鍛えようと思ったやさきだった。
 
そっと、膝のあちこちを、親指で押して診た。
次に、足の甲を、あちこち探しながら、ゆっくり押して診た。
若い頃、膝を痛めて、気圧療法で治して貰った事が有った。
その時の感じを思い出しながら、
眼を閉じ、自分の身体に聴くようにして、
感じる場所を探し出し、親指で、静かにゆっくりと押していった。
膝と足の甲を交互に、探りながら押していると、痛みがほぐれた。
 
それから1日中、歩き回って膝の様子を見たが、痛みは無くなっていた。
でも、膝を鍛えるのは、少し先伸ばしにしようと思う。
一度挫くと、治すのに時間がかかる。
自分で自信が持てるまで、じっくり膝の観察をしてからだ、と思う。
 
なんというか、
最近は、自分の身体に聴き入るようにして、直感で不調を治している。
薬もサプリメントも飲ない代わりに、食事には気をつけている。
いざという時、医薬品がよく効く身体にして置きたい、と思っている

物忘れ

老化を意識し始めた最初は、『物忘れ』だった。

 

久しぶり出会った知人の名前が、すぐには思い出せない。

友との会話に、「あれ」「それ」「あの人」「あそこ」などが増える。

簡単な漢字を忘れていて、辞書で調べる事が増える。

……… まあ、この段階では、特に不自由は感じなかった。

同年代の友達が同じ様な状況で、固有名詞抜きでも話は通じていた。

 

 その内に、少し前の自分の行動を、忘れるようになった。

 

金銭出納帳や食事記録など、直後に書いておかないと、完全な記録が難しい。

予定や約束なども、メモしておかないと、細かい内容を忘れてしまっている。

メモっても、メモの置き場所を忘れたり、メモった事を忘れていたりする。

 

物を何気なく置いて、置いたその場所を忘れ、探し回る。

用があって台所に行き、何の用で来たかを忘れて、立ち尽くす。

コンビニに行き、何を買いに来たか忘れて、何も買わず家に帰る。

調べ物をしたくて、本を開いたのに、何を調べるつもりだったか解らない。

前日に買った本を、また買って帰る。

 …………事態は、徐々に、笑い事では済まない状況に、進んでゆく。

 

家の鍵、財布、キャッシュカード、通帳、現金、携帯電話、、、

こうした物が、在るべきはずの場所に見つからない事が、時々起こる。

後で見つかった事もあるし、紛失してしまった事もある。

いずれにしても、必要な時、見つからなければ、それなりの措置が必要で、

その代償は大きかった。

 ……………これは、まずい。

これでは、『呆け老人への道をまっしぐら』ではないか?

 

何か、対策を講じなくては!

 そこで、生活習慣を見直し、物の置き場所を決め直し、意識的に習慣化を図った。

( 小さな物は、使用する場所の壁やドアなどにぶら下げ、目に付くようにした。) 

………………それでも、不測の事態が生じる。

買い物に行こうとして、鍵や財布が定位置にない、というような事がある。

数時間前か、前日か、少し前の自分の行動を忘れて、思い出せないのだ。

 

まあ、あれこれ、試行錯誤を繰り返して、、、、

ふと、以前にも記憶力が減退した時期があった事を、思い出した。

 

 幼児期には、訳も分からぬままに何でも丸暗記できていた。

それが、でき難くなったのは、小学校高学年から中学校にかけて、、、。

あの時は、語呂合わせやコジツケ、憶えるための工夫をイロイロした。

それらの工夫より、内容を深く理解する事が、暗記には一番役に立った。

記憶力の減退を補ったのは、理解力と思考力だった、と思う。

 

今回の記憶力の減退は、成長期のそれとは大きく異なる。

古い事は克明に覚えているのに、つい最近の自分の行動を忘れてしまうのだ。

言ってみれば、増え続けた記憶の総量が容量の限界に近くなっているみたいな……。

そうだとすれば、今回の記憶力の衰えは、推理力で補えるのではないか。

ふと、そう思った。

自分の性癖については熟知している。

行動を思い出すのではなく、取りそうな行動を推理してみるのはどうか。

 

いずれにしても、体力の衰えも、記憶力の衰えも、何もしなければ進むのだ。

老化に対する対策を考えるのも、けっこう楽しい事のような気がした。。

心穏やかな晩年の暮らしを思う

後期高齢者と呼ばれるまで、2ケ月をきった。

 

膝や腰に違和感を感じ、体力が急激に落ちた。

ちょっとした作業を、中途で投げ出す事が多くなった。

様々な事が、予定通りに進まない。

 

 以前は本を読んで眠くなる事など無かったのに、それが時々起こる。

迂闊にも、本を読みかけのままで、真っ昼間に3時間も熟睡してしまう。

しかも、夜は夜で、また約7時間ほど、爆睡に近い熟睡。

それも、たいていは、何かの作業中に寝入ってしまっている。

 

 まあ、おかげで、朝だけは、いつも爽やかで、、、

目覚めて手足を思い切り伸ばした時は、幸せ感でいっぱいだ。

けれど、 作業中のままの室内が目に入ると、溜息が出る。

 

まだ、老後と思いたくない。

まだまだやりたい事がいっぱいある。

  ……………でも、確実に、少しずつ老い、晩年に向かっている。

 

自分が老女である事を自覚し、老年期を丁寧に暮らしたい。

その思いから、このブログを始める。